PHOTO & WORD : Hiro Murata (TOKYONUR / Hiro Murata)
■Introduction “モーターヘッドはナニモノだ?”
かつて、季刊誌として発行されていた日本の伝説的 Art & Car Magazine モーターヘッド。
その唯一無二の「色(独自性)」は、世の中で初めて見るCar Culture、Car Build、写真表現であった。
ヒトコトで表現するならば「確信犯的初出しの衝撃」だろう。
とにかく、当時のモーターヘッドは究極に尖っていてCoolだった。
Epoch MakingなStreet Legal LM Car、最高峰のDrift CarによるHakone Touge Drift、Build by The Check Shopな極東Pre Runner、Street LegalなTexas Godzilla。
一方で、Avant GardeでExoticなSupercarのDubai Street。
日本を軸としたCar Cultureの発信という側面を持ちつつも、OverseasなCoverageも多数存在し、そのスジのFreak達を魅了した。
そして、紙媒体であるモーターヘッドの世界観を押し上げていたのが、映像とWeb Mediaを高次元に融合させた絶妙な連動感。Speedhunters Dino/Sean/Larry/、Luke(Maiham Media/HCS)、Yosuke(SCFILMES-JAPLAND)を筆頭とした、尖りに尖りまくったCreator陣の功績は大きいだろう。そして、そのCreator陣も「究極の美的自動車表現」を軸として、映像業界に根を生やす時期でもあった。
我々が体感したことがない唯一無二の美的自動車表現は、”モーターヘッドExclusive”なものであり、Magazineの発売日を代官山蔦屋書店で待ちわびていたが、紙媒体の衰退の波には逆らえず休刊・・・
しかし、2024年に進刊“モーターヘッド・evolution”で突如復刊を遂げたモーターヘッド。
そんな記念すべき復刊のタイミングで、KAIDO RACERのChapterのWords&Photoを担当させて頂いた巡りあわせに加え、岡山県真庭市で開催されたMH Hillclimb 真庭速祭の現場に立ち会うことができた。
■Chapter.01 “ワタシとアナタのモーターヘッド”
真庭速祭において、”モーターヘッドらしさ”という成分において究極だったのは、(個人的には)CUSCO GC8 WRX STI GT300だろう。
真庭速祭のために、水面下でRestorationされていたという事実。世界中のSubie Fanaticだけでなく、日本のレースヲタク達(Respectを持ってヲタクと言う)にとって寝耳に水な衝撃をあたえた。これこそが”モータヘッドらしさ”のひとつの要素である。
なによりもこの復活劇が完璧といえるのが、当時Steeringを握っていたKatsuo-ChiことKatuso Kobayashi-sanによるDrivingであったことが非常に大きい。
当時の自分が、Subaruを応援していたかといえば決してそうではないが、テレビ東京で不定期放送されていた90年代のJGTCのTV ShowをVHSに録画して、繰り返し食い入るように見ていた。
90年代のJGTCのGT300(GT2) Classは、Racing Carとして完成されていたPorsche 911(993)に対し、迎え撃つ日本勢はMOD感満載のToyota CavalierやTAEIVON Trampio FTO、キヨシくなる以前のStreet Flavorの名残りを依然として感じさせたRE AmemiyaのFD3S、Persons’ S14 ZenkiといったLegendary JDMな車種が群雄割拠していた。
それらの強烈な想い出が、今自分が構えるCameraのFinderの先に存在する。
まるでその時代にタイムスリップしたかのような、そんな錯覚に陥った。
勿論、MH Hillclimbの”トリ”として君臨するF1やGr.Cの車両価値とは比較すべき対象ではないが、”ヤッテくれるぜ!”というPassionを感じずにはいられなかった。
■Chapter.02 “Hillclimb Monsters”
日本版GoodwoodのようなEventに・・・という表現は安直かもれしれない。
もちろん、Goodwoodは世界最強の体験型自動車図鑑と言える存在だ。(かつてBSフジで放送されていたこともある)
MH Hillclimb=真庭速祭=Goodwoodがなのかと言えば、歴史的に海外文化を取り込むことに柔軟な日本ならではのCar Cultureの世界観が垣間見れる。
Judd Engineの快音を轟かせるド級のHillclimb Machine “Osella PA30″がCourseを走る傍ら、Indoor Exhibitionでは、Honda F1 MP4/6、R390 GT1、BBL R33、Madlane 935 MLという、日本で開発された、Legendary Racing Car、最新のTuning Carの姿を拝むことができる。
モーターヘッドをArtのFactorで昇華させた立役者のKasai-paisen(Left)
モーターヘッドの黎明期から光の魔術師として、強烈なImpactを与えるPhotoをDropし続けている、Moruo-kyosyoは額装PrintServiceを開始。
Event終了後に、小さいながらも想定外のムーブメントを発見することができた。
After Movieが公開されるや、本場欧州のHillclimb Competitionを追い続けるYouTube Channel “Hillclimb Monsters“が’One of the few Hillclimbs missing on our Portfolio…’という感動のコメントを残しているのを即座に把握。
これぞ、日本発のHillclimb Touge Eventなのだと。
今後、海外勢が大挙EntryしてくるようなEventになることを感じずにはいられない。
個人的にはチリトリカー(Downforce Monster)や、本場のヒルクライムイベントには欠かせないアメンボみたいなCorsscartを見てみたいところだ。
■Afterword “トウキョウニュルはナニモノだ?”
早朝、首都高直結八重洲Parkingへ滑り込み、EVを上がって目の前の改札から始発の新幹線に乗車し3時間で岡山に到着。タイムラグ皆無でレンタカーをピックアップしMHヒルクライムの現場へ到着。
自分の目の前に、CUSCO GC8 WRX STI GT300が目の前に現れた瞬間、当時のRacingなMomentだけでなく、子供時代の日常的な感覚すらも同時にFlashbackさせられた。
それは、幼少期の昼下がりの畳の香り、夕飯の香り、懐かしさの過剰摂取かのような強烈な感覚。
私は、記憶のない幼少期から異常なクルマ好きであったが、そのバックボーンは母の協力無しには語ることはできない。
母は、新聞の片隅の広告で掲載される自動車のイベントを見つけると、その週末には公共交通機関を使い連れていってくれたり、FMラジオで自動車の番組を見つければ、カセットテープに録音する方法を教えてくれたりした。
今となっては考えれないことだが、80~90年代に¥ENが無双し日本中が好景気に包まれていた時代。池袋に根を生やす百貨店のArt Spaceで開催された、本家Porsche Museumの移動展に連れていってくれたり、とにかくCar Cultureまみれの幼少期をすごしていた。
(Mobydickが描かれたTicketの半券を大事に保管していたけど、このまえ探してみると見つからず・・・30~40年ぐらい前に、池袋で開催されたポルシェ展のことを覚えているヒトいないかな?)
もはやInternetには残っていない、Deepでかけがえのない幼少期の体験あったからこそ、Car Culture/Motorsportsに対して垣根のないふり幅をもつTokyonurのAuto Otakuの源泉なのだ。(知識のMount主義ではなく、伝承/継承は大切)
それら、すべてが今につながる。
しかし、NostalgyなSentimentalに思いふけてもいられない。
2025年も真庭速祭は開催される。
Event Areaも拡大し、日本のMANIWAから世界のMANIWAへZENKAIで突き進む。
ハードルを上げるわけではないが、”既定路線”や”過去と同じことなんて許さない”。
そんなMindをもつであろうTakada-sanのことだから、これまでにないExperienceを我々に与えてくれるのは間違いない。今から11月23日にリマインダーを設定しておこう。
■Bonus Contents
ページ掲載容量の関係で1Coverageでは紹介しきれいFull GalleryをFlickrにAlbumとしてUploadしているので、お時間あるかたご覧ください。
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